Haruko Tanaka 田中 晴子 著
English/Japanese (2023)
1960年代に米国北カリフォルニアに移住、オーガニックの梅農園を営んだ八木順成、数子夫妻のライフストーリー。歳をとっても遅くない、果敢に辛抱強く手作りの梅干しと味噌を多くの人々に届けた二人は夢追い人だ。順成は第二次世界大戦中特攻隊員だった。戦争が終わりに近づいてきたある日、玄米正食運動の創始者、桜沢如一氏から電報を受け取る。「おしもの(食物)をつつしみ、最後に勝つものたれ」。戦後、42歳の順成は42ドルをポケットに単身渡米。「ジャンプせよ!マクロビオティックの生き方を世界中に広めなさい」桜沢氏から使命を託されたのだ。いっぽう、病弱だった数子は桜沢リマ氏に師事しマクロビオティックで健康を取り戻した。渡米してマクロビオティック食材を扱うチコサン社で二人は再会。ともに手を携えて正食品の開発指導に邁進。ヘルマン相原とコーネリア、久司道夫とアヴェリーヌなど、マクロビオティック第一世代の仲間たちと米国で普及活動に尽力。「梅には薬効があるのよ。気分が悪いときに梅林の中を歩いているだけでよくなるもの」と数子は語る。最晩年に順成がまとめた特攻隊員時代の自作歌集も収録。日英バイリンガル。
This book entails the life story of Junsei and Kazuko Yagi, who moved to the Unites States from Japan in the 1960s to start a Plum orchard in Northern California. The two were dreamers. Never letting age gets in the way of their dreams. In their later years in life, they started an organic orchard from scratch, and delivered Umeboshi pickled plums and homemade miso to many people.
Junsei served as a Kamikaze fighter pilot during World War II; sometime towards the end of the war, Junsei receives a telegram from his teacher, Gyoichi Sakurazawa (George Ohsawa), founder of the macrobiotics movement. “Ration your food, and when the end comes, become a winner” was the wise words of Sakurazawa-sensei. After the war, Sakurazawa-sensei always encouraged his students, “take a leap and spread the macrobiotic way of living to the world”. With those words in mind and 42 dollars in hand, Junsei made his way across the ocean to the United States; he was 42 years in age.
Kazuko who was prone to sickness learned macrobiotics from Lima Sakurazawa. Kazuko regained her health by changing her lifestyle to a macrobiotic one. After moving to the United States, Kazuko reunited with Junsei at Chico-San; a company that produced macrobiotic foods. Together with the first generation macrobiotics community, consisting of Herman and Cornelia Aihara, Michio and Aveline Kushi and many more, they put effort in spreading macrobiotics in the U.S. “Plums seem to have a healing power, if I am feeling under the weather I take a walk through the orchard and I instantly feel better” states Kazuko. This book also includes some poems that Junsei wrote during his time as a fighter pilot and put together during the last year of his life. The contents are written in English and Japanese.
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読者の声
桜沢先生の記述に頼った八木さんの農大以後の姿に大分思い違いしていた点がありましたが、その分、驚きと感動の連続でした。特に八木さんが近衛歩兵第二連隊に入営したとありますが、私の父は八木さんより随分前に同じ連隊に入り、八木さんが入った頃には多分南支に派遣されていました。八木さんが一気に身近になりました。これは日本人の戦争体験として貴重なドキュメントになると思いますし、何よりも桜沢研究の重要資料でもあります。
これから何度も読むことでしょう。 - 安藤耀顔
『酸っぱく、塩からい、そして甘い夫婦の物語』
「おしものをつつしみ、最後に勝つものたれ」
桜沢如一が、終戦の前年である1944年7月に、徴兵された弟子たち40名に送った電報である。
おしものとは、「食物」のことである。
桜沢は終戦の一年前、日本が敗戦間近であることを確信し、弟子たちに、もうすぐ戦争は終わるので、ここで無駄死にはするなということを暗に伝えたとされる。
この電報を受け取った一人に、当時特攻隊で出撃間近であった弟子の八木順成という人物がいた。
順成は、この電報を受取り、上官に自分は昼の戦闘なら自信があるが、夜に爆弾を抱えて沖縄まで行って戦って帰える飛行には自信がないと訴え、不思議にもその訴えが認められて、特攻隊の留守部隊の隊員に役職が変わり、そのまま終戦を迎えることになったのだ。
桜沢は他の手紙で、順成に「君の筆跡を見ると、少し陽性すぎるので、断食をしてはいかが」と伝えている。
つまり、桜沢は陽性になり過ぎて勝ちを急ぐのではなく、陰性になって今は負けてもよいから、最後に勝つ者になれと言っているのである。
そうして生き残った順成は、桜沢からアメリカで正食品を作れという使命を与えられ、同じ頃桜沢の弟子として渡米した数子と結ばれ、二人三脚で試行錯誤しながら、カリフォルニアに梅園を作り、梅干しや味噌などの正食品の製造に成功するという数奇な人生を送るのである。
そんな八木順成と数子の物語が、つい先日一冊の本となって私の手元に送られてきた。
この本は、2000年に順成が亡くなったあと、現在93歳になる数子さんの活動を支えた人たちが、数子さんの聞き書きを元にまとめられたまさにマクロビオティックな人生を描いたライフストーリーだ。
とにかく驚くべきは、数子さんの詳細な記憶力である。マクロビオティックに出会って、数奇な運命をたどるさまざまな出来事や魅力的な人たちとのドラマが、いま目の前で展開されているように語られる。
そして、そんな数子さんの大切な思い出を、なんとか後世に残そうと協力する多くの賛同者の情熱でこの本は成り立っている。
ただ、そんなマクロビオティックという一種特殊な興奮を、うまく冷静に受け止め、誰もがフラットに読める物語に仕立てられているのは著者である田中晴子氏の手腕だろう。
数子視点のストーリー、順成視点のストーリー、そして順成自身が晩年残した遺稿を組み合わせることで、男女の視点の陰陽、物語性と資料性が見事に交差し、重層的な読み応えのある作品となっている。
マクロビオティックが、その人に影響を与え、人生をどうダイナミックに変えていくかというリアルな物語を、ぜひ皆さん読んでみて下さい!
実は私も桜沢如一資料室の資料を元に、この作品の事実確認などで協力させてもらっています。
著者の田中晴子さん、そして情報のやり取りで仲介してくれた渡辺智子さん、本当にお世話になりました。
素敵な作品を届けてくれて、ありがとうございます! - 高桑智雄 (日本 CI 協会桜沢如一資料室)
The Information of the current Plum Orchard:
Mume Farm, P.O. Box 1112, Orland, CA 95963
info.mumefarm@gmail.com